| diary 2006年11月
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| 11月1日
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| 11月2日 ミニ・ロマンチカ@楽屋。久しぶりにやったらミチアキさんも順さんもさすがすごすぎ!ついていくのにドキドキでした。でも3人は面白い。足りない音とかあるはずなのに聞こえてきてしまう不思議さ。この編成ならではですね。 この日は本番前に一人で近くのカレー屋に行ってきました。kakuraという薬膳カレーカフェ。なんというか濃厚なカレーでとにかく濃厚でした。 ライブが終わってから夜中にミチアキさんの新居まで車で移動。そしてささやかにして大人な打ち上げ。 |
| 11月3日 ミチアキさんの新居は、前には太平洋そして後ろは山・周りは畑という、東京に住んでいる私からから考えると別世界の環境。素晴らしくいい空気と穏やかに流れる時間。そして自らアイデアを出して設計したお家は、木材をふんだんに使って空間を自由に操った、今までに見たこともないような和ゴージャス。以前知り合いが建てた新築の家にお邪魔した時にも思ったが、いい家というのはお金があればいいお家が建つのではなく結局そこに住む人の人間の器だと思う。この家は間違いなく好い家で100年経っても素晴らしい。敬服いたしました。 さてライブ、昨日のビビリもなくなり思いっきりやれました。暮れ行く海を見ながらの演奏は気持ちよかった!! ミチアキさんちでの打ち上げ、調子にのって飲んでしまいすみませんでした(かつらさまも、順さんも!)。でも色々な話が出来てよかった! |
| 11月8日 今日はこれからジョアン・ジルベルトを体験しに行く。 ドキドキするなぁ。 一昨年聴きに行った時には一曲目に「Ligia」をやられてすっかりノックアウトされてしまった。数あるボサノバの名曲の中でも「Ligia」は一番好きな曲なのだ。 ・・・ てなわけでいってきました。 他の幾多のライブと違い、会場である国際フォーラムの周辺からすでに緊張感が漂っている。ジョアンはもう会場に来ているのだろうか、どんな声とギターを聴かせてくれるのだろうか。 ところでボサノバという音楽、今ではジャンルが確立されてしまったがその歴史は浅い。19歳の時リオ・デ・ジャネイロに上京したジョアンがバンドもクビになり(遅刻魔!)友人のお家に順番に居候したあげく、田舎のお姉さんの家のバスルームにこもって一日中ギターをひいていたのは有名な話。このバスルームの中で何を研究していたかというと、サンバのリズムをギター一本で表現しようとしていたのだ。家族は気が狂ったと思ったらしい。26歳で再上京(再リオ)したジョアンはある日、見も知らぬロベルトメネスカルの家を訪ねる。「ギターを弾かせてもらいたいんだけど」ロベ・メネの家ではパーティーの最中。快く中に入れてギターを弾かせてびっくり仰天、なんじゃこりゃーーッ!ささやくような小さな歌声、聴いたことも無いあたらしい奏法・リズムのギター、サンバのすべてを一人でやっている!ロベ・メネはそれから2日間ジョアンを連れて友達連中に聴かせまくった。そしてもれなくアントニオ・カルロス・ジョビンと出会う。そのあとからはレコードやなんかで音が聞ける。 このへんがボサノバの始まりと私は捉えているのだけどだいたい1957〜8年の出来事です。そしてなんと1980年くらいにはボサノバは廃れてしまった。MPBとかに移行していくのです。 さて、珍しくボサノバ講座でしたが、ジョアンのコンサートはというと。開演前からジョアンを敬う空気やまた来てくれたという感謝の空気が流れていて苦しいくらい(私が緊張しているだけか?)。今回はなんとカメラが入っていて世界で初めてジョアンの歌っている姿が映像になるという。そこまで日本を気にいってくれたのか!ありがとうジョアン!それもあって気合いが入っているのかたったの30分おしでステージが始まる。あー、ありがたやー。出てきただけでありがたい、が、歌い始めてもう感激。最初はお客さんも含めお互い様子をうかがっているような緊張感があったけど、徐々にお互いノッてくるのが分かる。静かな盛り上がりがここち良い。一曲が終わり感謝の拍手を捧げている時ジョアンはじっと下を見て(持ち曲のリストが貼ってあるらしい)次に何を歌おうかと考えている。そしてこの時間がずっと続きますようにという願いが叶ったかのように最後の曲「シェガ・ヂ・サウダージ」を歌い終えギターを持って立ち上がりジョアンが去ってから時計を見ると2時間半近くが経過していた。御歳74才?かな?ボサノバを創った人、神様を体験した夜でした。 |
11月10日
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11月16日
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| 11月26日 龍之介@浅草KURAWOOD。龍之介くんのワンマンライブに参加しました!たった一人で何かパフォーマンスをやるということを頼まれまして。歴代の方々(ベリーダンス、日舞、アベミオの超絶バヨリン)を見ていたので私に出来るかなと不安もよぎりましたが、やらせていただくことにしました。手品とかも考えたんですが、一度練習してやっぱり私には無理だとあきらめ独りでちぇろをひくことにしました。テーマはバッハ。タイトルは『バッハ 5!5!5! 〜変幻するNo.5のテーマ〜』 バッハの「無伴奏チェロ組曲の第5番」をテーマに使って自分なりにアレンジしてひくという恐れ多い企画。この曲は実は埋もれていた名曲であり今からおよそ100年ちょっと前にチェロの巨匠カザルスが偶然バルセロナの楽譜屋さんで譜面をみつけて、以来レパートリーにして有名になった曲である。さて、カザルスについて少し。 パブロ・カザルスはチェリストにとって、そして全ての音楽家にとって偉大で重要な人物である。演奏は力強く、乱暴とも言えるほどの勢いの良さ。それでいて聴く人の魂に深く入り込みそのまま居座るタイプ。 2〜3日前、 ニューヨーク国連本部で1971年に演奏された「鳥の歌」の演奏を久しぶりに、20年くらいぶりに聴いた。予想通りというか、聞き終わったあとに言葉が出なかった。カザルスの、圧倒的な音楽の力。 さて、これは有名な話であるが、カザルスはスペインを独裁政治で牛耳っていたフランコ政権に抗議し演奏活動をしないと宣言した。世界中を回ってコンサートを開くクラシック音楽家にとってコンサート活動をしないというのは決死の行動である。しかもフランコは長生きしたので(確か1975まで生きた)カザルスは祖国を愛しながらも祖国で死ねず、平和を願いながら信念を貫き通した。 そんな中、例外として演奏したのがさきほどの国連本部での演奏。カザルス94歳。演奏の前のスピーチで彼はこう言った。「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです。」 テロや政治ではなく、音楽で平和のために戦い続ける。一見無力なように思えるこの行為は結果として多くの賛同も得て後生に語り継がれることとなった。 同じバスク地方生まれのパブロ・ピカソは大作ゲルニカを描いた時こう言っていたそうだ。「絵は部屋を飾るために描かれるのではない、絵とは闇と野蛮に立ち向かう戦闘の道具だ」(ゲルニカもフランコに反対し、平和と反戦を描いたものだ、偶然にも。) 私にも誰にでも、無力と思えることでもいいから平和のために何か出来ることがあるのではないか、深く考えさせられました。 |
| 11月27日 堀江里沙@渋谷DUO。里沙ちゃんと初めてあったのは彼女がまだ19歳のときだった。まっすぐの黒髪がつやつやで今よりもうちょっとふっくらしていたような。次の年に会ったら、なんとっ!金髪になっていたっ!びっくりしたあのときは。さて今回は里沙ちゃんお馴染みのメンバーでエアプランツの3人もその中に入っている。みんな知り合いだけど全員で音を出すのは初めて。しかし、リハの一曲目からもうすごくいい感じ!メチャメチャやりやすい。しかも仕事が早い!これは歌っている里沙ちゃんも気持ちいいだろうなぁ。初めてのワンマンとは思えない堂々とした歌いっぷり、これはお客さん泣いちゃうよのバラード連発。あっという間のステージでした。 |
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